このままでいいとは思えない。
でも、進みたい道も分からない
新卒で入った化学メーカーで、約10年働いていました。
私は、受験や仕事、資格など、人から認められやすいものを積み上げてきました。頑張って結果を出せば、自信がつくと思っていたからです。
給料や人間関係に大きな問題があったわけではありません。それでも、今の道をこのまま進み続けたいとは思えませんでした。かといって、別に進みたい道があったわけでもありません。ここまで積み上げてきたものを手放したくない気持ちと、このままではいけないという気持ちの、どちらも本物でした。
自分で何とかしようと、本を読み、情報を集め、さらに正解を探しました。身近な人に話しても、「考えすぎじゃないか」「みんなそんなものだ」「辞めるのはもったいない」と返されることがありました。自分でも理由をうまく説明できない違和感を、そのまま受け止めてもらうのは難しいものでした。
その後、私は一対一で継続して話をする中で、自分の考えを少しずつ見直していきました。正解を渡されたのではありません。「それは本当ですか」「実際に誰かに言われたのですか」と問われ、自分では疑っていなかった前提を、一つずつ確かめていきました。問いを差し込むのは相手で、考えるのは自分でした。
その結果、不安がなくなったからではなく、自分の違和感を無視せずに、次を決めずに会社を辞めました。退職から約1年たった今も、その判断を後悔していません。以前は、資格や肩書きを積み、人から認められることで自信を得ようとしていました。今は、好奇心と違和感から来る自分の羅針盤を信じて進めることが、私にとっての自信になっています。
この経験から、正解を渡す人ではなく、自分では気づきにくい前提を一緒に確かめる相手がいることに意味があると思っています。この対話では、揺れ動く気持ちのどちらかを切り捨てず、その奥にある望みや怖さ、取り込んできた基準を一緒に見ていきます。
この対話で見ていくこと
この対話では、ふだんは見過ごしている小さな違和感を、最初の手がかりにします。
その違和感には、自分の望みや怖さと、外から取り込んだ基準が混ざっていることがあります。たとえば「親に心配をかけてはいけない」「評価されない働き方には価値がない」「30代のうちに決めないと手遅れになる」。自分で選んだつもりの基準が、親や上司や世間から借りたままになっていることがあります。何が嫌なのか、何を守ろうとしているのか、その基準はどこから来たのかを、話しながら一つずつ見ていきます。
この対話で目指すのは、明確な正解や目標が今なくても、違和感を手がかりに自分で考え、試し、確かめ直せるようになることです。
なぜ一人では難しいのか
一人で自分と向き合い続けるには、根気がいります。自分にとって当たり前になっている思い込みは、比較するものがないため、それが思い込みだと一人では気づきにくいものです。気づきかけても、考えたくないことから目をそらしたり、いつの間にか同じところへ戻ったりします。私も、一人では何度も止まりました。
自分と向き合うことは、一度話せば終わるものではありません。話して日常に戻り、そこで起きたことを持ち寄って、また話す。その繰り返しでした。心細くなったり、別の方法へ目移りしたりしても、この過程を続けられたのは、その時々の自分を見てくれる人がいたからです。
自分で決めたいのに、誰かに正解を求めたくなることもありました。でも、「こうすべき」と決めつけられると、私はかえって心を閉じてしまいました。この対話で私が返すのは、話を聞いて気づいたことや、私から見えた別の見方です。「もう辞めたい」と話したすぐあとに、「ここまで積み上げたものを失いたくない」とも話す。そういうとき、どちらが本心かを決めずに、両方出てきたことをそのままお伝えします。
私は、助手席で一緒に地図を見るコ・ドライバーのような立場です。今どこにいて、どこで立ち止まっているように見えるかを伝えます。ハンドルもアクセルもブレーキも、運転席にあります。
対話の進み方
扱うテーマや話の流れに合わせて進めます。ひとつの例は、次のとおりです。
- いま起きていることや感じていること、まだうまく言葉にならない違和感を話す
- 繰り返し出てくる言葉や前提、私が引っかかったところを、その場で「それはどういうことですか」と聞く
- その中に、自分の望みや怖さ、周囲から取り込んだ基準がどう混ざっているのかを一緒に見る
- 対話のあと日常に戻り、何か試したくなったら実際に試す
- 次の対話で、その間に起きたことを見る。うまくいったこと、動けなかったこと、気持ちが変わったこと、何も起きなかったことも、次に考える材料にする
- その時点で見えていることから、次を考える
回を重ねると、前回より戻っているように見える回があります。何も試せなかった、気持ちが元に戻った、考える余裕がなかった。うまくいかなかったことにも理由があるはずで、それも次にお話しする材料になります。
私自身は、本当にやりたいことが見つかったときには、ほかを放り出してでも動いていました。だから、動けないときには何かあると思っています。ただ、動けない理由が、生活や体調、家族の事情といった現実的なものであることもあり、一概には言えません。何が止めているのかを決めつけずに、動かないことを直すのではなく、動かない理由のほうを一緒に見ます。
話がどこまで進むか、何かを試したくなるか、いったん止まりたくなるかは人によって違います。その人のペースで、この繰り返しを重ねます。この関わりの先で目指しているのは、違和感が出てきたときに、「これは自分の望みなのか、借りてきた基準なのか」と自分で問い直せるようになることです。そこまでにかかる時間は、人によって違います。